説明のつかない世界と不安の正体

この世の中には、どうにも説明がつかないことが多い。物事には理由があると思い込みたいが、実際にはそうでないことが多々ある。すべてに意味や説明を求めることは、時に無意味で、むしろ恐怖や不安を助長するだけだ。

人は、何か異常や不合理なことに遭遇すると、それを理解したくなる。何か隠された理由があるのではないかと考え、意味を見つけようとする。しかし、その結果、往々にして見えてくるのは、自分の無力さや世の中の不条理さだ。例えば、部屋の中に謎の空間があったり、説明できない儀式があったりすると、その背後にある隠された真実を探ろうとするだろう。しかし、そうした探索は、ただ漠然とした不安を深めるだけだ。

例えるなら、見えない場所で何が起こっているのかを知りたがるのは、カーテンの向こうで何か恐ろしいことが起こっているかもしれないと考えるようなものだ。窓を開けた状態で殺人が行われているなどという発想は、普通ではありえないが、時にはその「ありえないこと」が現実となる。人はこうした異常に対して無力であり、それを理解しようとする行為自体が無意味なことも多い。

結局、すべての物事には明確な答えがあるわけではない。この世の中は不完全で、説明できないことだらけだ。すべてを知ろうとするのではなく、分からないものを受け入れることが、時に唯一の解決策かもしれない。物事に答えを求めすぎると、かえって自分自身を追い詰めてしまうだけだ。