疾走する殺し屋たち

第1章 出会い -新幹線「のぞみ」車内-

初夏の陽光が眩い日。新大阪駅を発車した新幹線「のぞみ」の車内に、中年男・木村泰三はぼんやりと車窓を眺めていた。酒浸りの生活でやつれた顔には、殺し屋だった頃の鋭い眼光は見られない。今はただ、どこか虚ろな目をしている。

そんな彼の隣に、1人の中学生が座っていた。整った顔立ちに眼鏡をかけ、本を読みふけるその少年は、自らを「王子」と名乗った。

「この列車には、殺し屋が乗っている」

王子は、本のページをめくりながら、不敵な笑みを浮かべる。

「あなたも、元殺し屋でしょう?その目は、人を殺めた者の目だ。今は酒に溺れているようだが」

木村は驚き、そして警戒心を露わにした。

「どうして...」

「簡単なことさ。あなたは、この列車に乗る前、ホームで酒を飲んでいた。その酒臭い息と、震える手で、あなたが何かから逃れようとしていると推察した。殺し屋を引退した人間が、酒に溺れることは珍しくない」

王子は、本から目を離さずに言う。

「それに、あなたの目は、人を観察する癖がある。殺し屋だった頃の名残だ。その目は、標的を探していた頃の鋭さを失っているがね」

木村は、王子の洞察力に戸惑いを隠せなかった。

「だが、あなたは違う。あなたは、この列車に乗る前から、すでに殺し屋だった。いや、殺し屋であることすら、自分という存在の1つの属性でしかない。まるで、自分の価値観を周囲に押し付けているようだ」

王子は、不思議な少年だと木村は感じた。

「なぜ、そんなことがわかる?」

「簡単なことだ」と王子は本を閉じ、不敵な笑みを浮かべた。

「あなたは、自分の価値観を絶対だと思っている。そして、その価値観に沿って、他者を評価し、侮蔑し、嘲笑する。それは、あなたが自分という存在を特別だと思いたいからだ。自分を『価値を決める者』と位置づけることで、自分の存在を確かめている」

王子は、車内販売のカートからペットボトルの水を取り、ゆっくりと口にした。

「私は、本を読むことで語彙や知識を蓄え、卓越した読解力を身につけた。その結果、複雑で客観的な思考ができるようになった。人の感情を読み、集団の中で特別な存在感を示すことができた」

彼は、車窓に映る自身の姿を眺めながら、静かに語り続ける。

「そして、私は気づいたんだ。人間は、おぞましい決断や倫理に反する行為に直面した時、集団の意見に同調しがちだということを。彼らは、自分の判断の責任を取らなくて済むからね」

その時、車内にアナウンスが響いた。

「次は、名古屋駅停まります」

王子は、車内販売のカートからもう1本の水を取り、木村に差し出した。

「名古屋で、この列車に2人の殺し屋が乗ってくる。腕利きのコンビだ。あなたは、彼らと出会うことになる」

木村は、差し出された水を呆然と受け取った。

第2章 蜜柑と檸檬

「のぞみ」が名古屋駅に滑り込む。ホームに並んだ人々の中から、2人の男女が颯爽と歩み寄る。1人は、ショートカットの女性、蜜柑。もう1人は、長身の男性、檸檬

彼らは、車内販売のカートを押すふりをして、車内を物色していた。

「標的は、この列車には乗っていないようね」

蜜柑が、カートの隙間から車内を覗き込む。

「ふむ、残念だ。だが、この列車には、興味深い人物が乗っている」

檸檬が、カートを押しながら答える。

「興味深い人物?」

「ああ、この列車には、元殺し屋で酒浸りの男と、狡猾な中学生が乗っている。2人とも、ただ者ではない」

蜜柑は、カートを押しながらも、殺気を漂わせていた。

「殺し屋のコンビか...」

木村は、名古屋駅を出発した車内で、2人の存在に気づいていた。

「彼らは、私たちを見つけ出すだろう。そして、何かを起こすつもりだ」

隣の席の王子は、本を読みながら静かに言う。

「彼らは、あなたの過去を知り、私の存在にも気づいている。この列車に乗った時から、すでに勝負は始まっている」

その時、蜜柑と檸檬が、車内販売のカートを押しながら近づいてきた。

「お客様、何か飲み物はいかがですか?」

蜜柑が、木村と王子の前に立ち、笑顔を浮かべる。

「いや、結構だ」

木村は、2人を警戒しながら答えた。

「そうですか。では、失礼します」

蜜柑は、カートを押しながらも、王子の方をちらりと覗き込む。

「おや、あなたは本がお好きなようですね。どんな本を読んでいるのかな?」

王子は、蜜柑の問いかけを無視した。

「失礼な少年だ」

蜜柑は、不快感を露わにする。

「気にすることはない」

檸檬が、冷静に制する。

「彼らは、我々が殺し屋だと気づいている。警戒心を解かないのは当然だ」

「ふむ、面白い」

蜜柑は、不敵な笑みを浮かべた。

「では、少し遊んでいきましょうか。殺し屋同士のゲームを」

第3章 七尾の登場

「のぞみ」が新横浜駅に停車した時、1人の男が慌てた様子で乗り込んできた。

「あ、危ない!」

男は、ホームと列車の隙間に足を取られ、転びそうになった。

「大丈夫ですか?」

木村が、男を助け起こす。

「あ、ありがとうございます」

男は、眼鏡を直し、恐縮した様子で木村に頭を下げた。

「七尾です。七尾幸太郎といいます。あ、この列車、東京駅まで行くんですよね?」

七尾と名乗る男は、少し挙動不審な様子で、木村に話しかける。

「ああ、東京駅まで行く」

木村は、男を訝しげに眺めた。

「よかった... 間に合って」

七尾は、ほっと息をつくと、車内を見回した。

「あれ?鈴木さんは...?」

七尾が、辺りを見回していると、蜜柑と檸檬が近づいてきた。

「お探しの方は、こちらですか?」

蜜柑が、七尾の腕を取り、座席に案内する。

「え?あ、はい。鈴木さん、鈴木さんはどこに?」

七尾は、蜜柑と檸檬を交互に見つめ、困惑した様子を見せた。

「鈴木さんは、残念ながら、この列車には乗っていません」

檸檬が、静かに答える。

「え?じゃあ、どうして...」

七尾の問いかけは、蜜柑の鋭い視線で遮られた。

「あなたは、殺し屋ですね?」

蜜柑は、七尾の腕を掴み、静かに問いかける。

「え?いや、私は...」

七尾は、動揺を隠せない。

「あなたは、殺し屋だ。そして、不運な男」

蜜柑は、七尾の腕を捻り上げ、冷たく言い放った。

「あいたたた... ちょ、ちょっと待ってください!私は殺し屋じゃないですよ!ただの不運なサラリーマンです!」

七尾は、必死に弁解する。

「ふむ、殺し屋ではない、と」

木村が、七尾の前に立ちはだかる。

「私は、元殺し屋だ。あなたの殺気は、殺し屋のそれではない。だが、不運な男であることは確かだな」

七尾は、木村と蜜柑に挟まれ、冷や汗をかいていた。

「どうして... どうして、それがわかるんですか?」

「簡単なことさ」

木村は、七尾の肩に手を置き、静かに語りかける。

「あなたは、この列車に乗り込む前、ホームで転びそうになっていた。そして、乗り込んだ後も、カバンを座席に置き忘れそうになっていた。不運な出来事に翻弄されているのは明らかだ」

七尾は、木村の洞察力に驚きを隠せなかった。

「それに、殺し屋は、標的に気づかれないようにする。あなたのように、大騒ぎはしない」

「なるほど...」

七尾は、納得した様子で、2人に頭を下げた。

「失礼しました。私は、ただの不運なサラリーマン、七尾幸太郎です。どうぞ、よろしく」

木村と蜜柑は、七尾の親しげな態度に、少し面食らった。

「よろしく」

木村は、短く答えた。

「ふふ、よろしくお願いします」

蜜柑は、不敵な笑みを浮かべた。

第4章 駆け引き

「のぞみ」が東京駅に到着するまで、残り1時間を切った。

車内では、殺し屋たちによる緊迫した駆け引きが繰り広げられていた。

王子は、本を読みながら、時折、車内を観察する。

「彼らは、それぞれの思惑を抱えている。元殺し屋の男は、過去の自分と向き合っている。腕利きのコンビは、標的を探しているようだが、私の存在にも興味を持っている。そして、不運なサラリーマンは...」

王子は、七尾をちらりと眺めた。

「彼は、このゲームに巻き込まれたくないようだ。だが、彼は、この列車から降りることはできない」

「どうして?」

木村が、隣の王子に問いかける。

「簡単なことだ」

王子は、不敵な笑みを浮かべた。

「彼は、この列車に乗る前、ホームで誰かを探していた。そして、乗り込んだ後も、誰かを探している。おそらく、鈴木という男だろう。彼は、鈴木という男に会うまで、この列車から降りることはできない」

その時、蜜柑と檸檬が、七尾を連れて木村と王子の前にやってきた。

「元殺し屋さん、不運なサラリーマンさんを貸していただけますか?」

蜜柑が、木村ににこやかに問いかける。

「え?」

木村は、突然の申し出に戸惑いを隠せない。

「彼は、私たちのゲームに参加したいそうです」

蜜柑は、七尾の腕を捻り上げ、無理やり彼の口を開かせる。

「あいたたた... ちょ、ちょっと待ってください!僕は、殺し屋じゃないですってば!」

七尾は、必死に抵抗する。

「ふむ、殺し屋ではない、と」

木村は、七尾の苦しそうな表情を見つめた。

「彼は、殺し屋ではない。だが、何か隠しているな」

「隠している?」

王子が、静かに問いかける。

「ああ、彼は、殺し屋ではないが、何か秘密を抱えている。おそらく、鈴木という男に関係がある」

「鈴木...」

王子は、その名を口にし、静かに考え込んだ。

「鈴木と名乗る男... 彼は、私に興味深い言葉を投げかけた」

王子は、ゆっくりと本を閉じ、語り始めた。

「『世の中は禁止事項だらけだ。君が一人でいる時は問題ないが、別の人間が現れた瞬間に、無数の禁止事項が生まれる。君たちの周囲にも、根拠不明の禁止事項が溢れている。君たちは、許可されたことをかろうじて実行できているだけなんだよ』」

王子は、車窓に目を向け、静かに続ける。

「『どうして、君たちはいつも「人を殺したらダメ」なのかと質問するんだい?もっと理由の分からないルールがたくさんあるだろう?人を殴る、他人の家に勝手に泊まる、学校で焚き火をする... 殺人よりも理由の分からないルールが山ほどある。君たちはただ、過激なテーマを持ち出して、大人を困らせようとしているだけじゃないのかね?』」

王子は、不敵な笑みを浮かべた。

「そして、鈴木は、最も本質的なことを口にした」

「『命は、人間が所有する最も重要なものだ。だから、国家は命を守るふりをして、殺人禁止のルールを作った。経済活動を維持するためには、命の保護が不可欠なんだ。戦争や死刑が許されるのも、国家の都合でしかない。倫理なんて関係ないんだよ』」

王子は、蜜柑と檸檬を見つめ、静かに問いかける。

「あなた方は、殺し屋として、この言葉をどう思う?」

蜜柑は、王子の問いかけに、冷たく笑った。

「殺し屋にとって、命は、仕事を遂行するための対象でしかない。国家の都合など関係ない。私たちは、依頼された標的を消す。それだけだ」

「ふむ、そうだな」

檸檬が、冷静に頷く。

「殺し屋は、依頼された仕事を遂行する。それが、我々のルールだ」

「ルール...」

王子は、静かに呟くと、七尾の方を向いた。

「不運なサラリーマンさん、あなたは、鈴木という男に会うために、この列車に乗った。鈴木という男は、あなたにとって、どんな存在なんだい?」

七尾は、王子に問いかけられ、動揺を隠せなかった。

「え?あ、あの... 鈴木さんは、僕の...」

「鈴木は、あなたの何なんだい?」

王子は、静かに、だが力強い口調で問い詰める。

「彼は、僕の... 恩師です」

七尾は、絞り出すように答えた。

「恩師?」

木村が、驚いた様子で七尾を見つめた。

「鈴木は、小学校6年生の時の担任の先生だったんだ。僕は、あの先生に...」

七尾は、言葉に詰まり、俯いてしまった。

「僕は、あの先生に救われたんです」

王子は、静かに七尾を見つめ、語りかける。

「救われた、とは?」

「僕は、小学生の頃、いじめられていました。毎日、学校に行くのが辛くて... そんな時、鈴木先生が、僕を助けてくれたんです」

七尾は、堰を切ったように語り始めた。

鈴木先生は、いじめっ子たちを厳しく叱ってくれた。そして、僕に言ってくれたんです。『七尾くん、君は、自分の価値を決めさせてはいけない。君の価値を決められるのは、君自身だけだ』って」

七尾は、涙を浮かべながら、静かに語り続ける。

鈴木先生は、いつも僕を励ましてくれた。そして、本を読む楽しさを教えてくれた。僕は、本を読むことで、いじめっ子たちから逃れることができた。本の中の冒険や物語は、僕を強くしてくれたんだ」

「ふむ、興味深い」

王子は、静かに頷くと、蜜柑と檸檬に視線を向けた。

「あなた方は、殺し屋として、標的を消す。それは、依頼された仕事であり、あなた方のルールだ。だが、鈴木という男は、殺し屋ではない。彼は、七尾という少年の恩師であり、彼を救った男だ。彼の価値は、殺し屋であるあなた方とは、全く異なる」

蜜柑は、王子の言葉に、冷たい視線を向ける。

「価値、ですって?」

「ああ、価値だ」

王子は、不敵な笑みを浮かべた。

「殺し屋にとって、標的の価値は、仕事を遂行するための対象でしかない。だが、鈴木という男は、殺し屋ではない。彼は、七尾という少年にとって、かけがえのない存在だ。彼の価値は、殺し屋であるあなた方には決められはしない」

「ふん、面白いことを言う少年だ」

蜜柑は、冷笑した。

「では、聞こう。あなたにとって、この不運なサラリーマン、七尾の価値は何だ?」

「彼の価値...」

王子は、静かに考え込む。

「彼は、鈴木という男に会うために、この列車に乗った。鈴木という男は、彼の恩師であり、彼を救った男だ。彼の価値は、鈴木という男に会うことにある。そして、おそらく、鈴木という男も、彼に会うことを望んでいる」

「ふむ、つまり...」

木村が、王子の言葉を補う。

「鈴木という男は、七尾という少年に何か伝えることがある。おそらく、重要なことだ。だから、七尾は、鈴木という男に会うために、この列車に乗った」

「その通り」

王子は、自信に満ちた表情で頷いた。

「七尾という男は、鈴木という男に会うことで、何かを得る。そして、鈴木という男も、彼に会うことで、何かを達成する。彼らの価値は、互いに関係している」

「なるほど...」

蜜柑は、王子の洞察力に感心した様子を見せた。

「では、聞こう。あなたにとって、この元殺し屋、木村の価値は何だ?」

王子は、不敵な笑みを浮かべ、蜜柑を見つめた。

「彼の価値...」

「彼は、酒浸りの生活から脱却し、過去の殺し屋としての腕前を取り戻そうともがいている。彼は、あなた方に興味を持っている。おそらく、あなた方と勝負することで、過去の自分を取り戻そうとしている」

「ふむ、勝負、ですか」

蜜柑は、冷たく笑った。

「では、勝負をしましょう。殺し屋同士の」

第5章 疾走する列車の中で

「疾走する列車の中で、殺し屋たちの思惑が交差する。元殺し屋の男は、過去の自分と向き合い、腕利きのコンビは、標的を探しながら、この不思議な少年に興味を抱く。そして、不運なサラリーマンは、恩師との再会を果たすことができるのか...」

王子は、静かに語りかけながら、車窓に目を向ける。

「この列車は、疾走している。だが、本当に疾走しているのは、この列車に乗る我々自身なのかもしれない」

その時、車内にアナウンスが響いた。

「次は、東京駅。終点、東京駅停まります」

王子は、ゆっくりと立ち上がると、車内販売のカートを押すふりをして、車内を歩き始めた。

「東京駅で、この列車から降りる。そして、それぞれの道を進む。それが、この列車に乗った我々の運命だ」

王子は、車内を歩きながら、それぞれの殺し屋に語りかける。

「元殺し屋さん、あなたは、過去の自分と向き合い、殺し屋としての腕前を取り戻すことができる。腕利きのコンビのあなた方は、新たな標的を見つけ、仕事を遂行するだろう。不運なサラリーマンさん、あなたは、鈴木という恩師と再会し、何かを達成する」

王子は、不敵な笑みを浮かべ、語り続ける。

「この列車は、終点、東京駅に到着する。だが、我々の旅は、まだ終わらない。それぞれの道を進み、それぞれの価値を追求していく。それが、我々の運命だ」

王子は、車内を歩きながら、それぞれの殺し屋に視線を向ける。

「元殺し屋さん、あなたは、過去の自分を超えられるか?腕利きのコンビのあなた方は、新たな標的を見つけられるか?不運なサラリーマンさん、あなたは、鈴木という恩師から、何を得るのか?」

王子は、車内販売のカートを押しながら、静かに問いかける。

「さあ、東京駅に到着する。それぞれの運命を受け入れ、進んでいくんだ」

エピローグ -東京駅-

「のぞみ」が東京駅に到着した。

木村、王子、蜜柑と檸檬、そして七尾は、それぞれの思いを胸に、列車を降りた。

木村は、酒浸りの生活から脱却し、殺し屋としての腕を取り戻すことができるのか。蜜柑と檸檬は、新たな標的を見つけ、息の合ったコンビネーションで追い詰めていくのか。七尾は、鈴木という恩師と再会し、何を得るのか...

疾走する列車の中で出会った殺し屋たちの物語は、ここから始まる。彼らの運命は、疾走する列車のように、これからも走り続けていく...