人は、自分の意思を持っていると信じたいが、実際は多くの場合、他者や環境に流されているにすぎない。それは特に、若い頃に顕著だ。自分がどう感じ、どう振る舞うべきかは、周囲の意見や期待に大きく影響される。
理由は簡単で、若い頃は自分の輪郭がまだ曖昧だからだ。自己を確立しきれていない不安定な時期に、他人からの評価や影響は自分を形作る材料として使われやすい。自分の中にある不確かさを埋めるために、外から与えられる役割や価値観にすがることがある。それが無意識に行われるとき、自分の意思だと思っていたものが、実は誰かの影響の産物であることに気づかなくなる。
例えば、周囲から美しいとされる人々は、その美しさゆえに特別な力を持つことが多い。彼らは何も言わずとも、多くの人が自然と彼らに従い、影響を受ける。しかし、その影響を受ける側は、自分がその人に魅了されているのか、それともその人が作り出す幻想に囚われているのか、判断できないことがある。そして、その魅力に自分の意思を委ね、いつの間にかその人の言葉や行動を自分の基準としてしまう。
この状況は、学校のような閉じた空間で特に強く現れる。社会に出る準備が進む中で、未来が少しずつ形作られていくにも関わらず、その過程は見えにくく、多くの人は無自覚だ。自分の将来が、どこかの誰かの期待や評価で左右されていることに気づかないまま進んでいく。自分の判断だと思っていたものが、実は周りの影響を受けていたと知るのは、はるか後になってからだ。
結局、人は社会や他者との関わりの中でしか生きられない。完全な独立した意思を持つことは難しい。それでも、自分を見失わないためには、常に問い続ける必要がある。「これは本当に自分の選択か?」と。その問いを忘れてしまうと、気づかないうちに誰かの思惑に従ってしまうのが、今の世の中の現実だ。