歌姫降臨
私の世界にインヴィテーション。私は過去を後生大事に生きる過去の化身。言うなれば、過去の私が心だけをそこに置き、体だけを未来に連れてきた様なもの。
屁ネキはギターを持ち、音を奏でる。音の高さ、音の大きさ、音の音色、これらの音波の周波数、音波の振幅、音波の波形の調整により完璧なものにする。屁ネキの歌声はぬとらじでは好評であり、自らも成長を感じている。
「屁ネキの歌声はBGMになるよ。ずっと聞いていられる…」
『お前の音痴な歌声、ギターの音を聞いてると気分が悪い。早く抜けろブス』
屁ネキはこのレスの中身を推察する。どうせいい歳して大したことも成し遂げたことの無い悲しみだけが心に染み付いた中年男なんだろう。
どうしてこの中年男はこうも強気なのか。若く、美貌もある私、一方歳をとって腰も曲がったおっさん。力関係がはっきりしている様なものにもかかわらず、なぜ、偉そうな、さも格下の人間を相手にするかのような態度を崩さないのか。おそらくその根拠といえば、彼が年長であるという一点しかないのだ。中学生に比べ、自分のほうが何十年か長く生きている、というその事実だけだ! 同情を感じずにはいられなかった。不毛な時間を何百日、長く生きたところで何を得られたというのか。
屁ネキの特徴は人を見下し、あくまで自分が他者より上だと思うところにある。
「おじさんさぁ、そんなこと言って悲しくならない?」
屁ネキはなるべく悪口を言われても平常心を保ち、冷静に言葉を選んで反論する。もし、動揺をしてしまうようならなるべくレスやkomeを読まない。そうすることで彼らより上に立つことが出来るのだ。
私は思う。善人なんてこの世に居ないだろう。だって、もしそんな者がいるなら、打算も見返りもなく私に施して証明してみろ。
過去と今と未来
まず、なぞなぞに答えて欲しい。
三人の兄弟が、1つ家に住んでいる。 ほんとはまるで姿が違うのに、 三人を見分けようとすると、 それぞれ互いに瓜二つ。 一番上は今いない、これからやっと現れる。 二番目もいないが、こっちはもう出かけた後。 三番目のちびさんだけがここにいる、 それというのも、三番目がここにいないと、 あとの二人は、なくなってしまうから。 でもその大事な三番目がいられるのは、 一番目が二番目の兄弟に変身してくれるため。 おまえが三番目をよく眺めようとしても、 見えるのはいつも他の兄弟の一人だけ! さあ、言ってごらん、 三人はほんとは一人かな? それとも二人? それとも誰もいない? さあ、それぞれの名前をあてられるかな? それができれば、三人の偉大な支配者がわかったことになる。 三人はいっしょに、大きな国を治めている。しかも彼らこそ、その国そのもの! そのてんでは三人はみなおなじ。
屁ネキには、小学生の頃に不登校だった過去がある。嫌いな女がいた。
あいつさえ、あいつさえ居なければ…。あいつは殺さないといけないやつだ。
心に滾る憎悪を包み隠す。しかし、もう隠したくない。さらにむき出しにして、感情や声や心を全て、全て、出し続けたい。のたうち回りながら昇る暴風雨、濁黒の空を。
小学生の頃の私はとにかく自分をからに閉じ込めながら生きていた。私は透明であり、教室を浅葱鼠色に染める。しかし誰もが我関せずだ。助力なんて期待しても無駄。
私は自傷行為を覚えた。ヤスリで研ぎ、切れ味の高まった刃物をグッサリと差し込む感覚はなんとも形容しがたい。皮膚が一瞬膨らみ、そのまま溜まった血が一点に凝縮される。この光景を見るだけで、私の脳髄は震える。
屁ネキの小学生時代は、血液と共にあった。”血の1日”、”血のバースデー”、”血の祝日”、そうやって毎日血を見続けた。
自殺未遂者が嫌われる理由は、自殺未遂によって他人を支配しようとするからだ。別れるくらいなら死んでやる、とか叫んで、剃刀で手首を切ってみせるやつが典型的な例だ。わたしは自殺という普通の人間にはできない行為を試みた。ゆえに他人はわたしの言うことを聞かなければならない。そんな馬鹿げた論理を押しつけようとする。しかし自殺を遂行させることさえ出来れば、屁ネキは証明ができる。心の痛みを。
「高齢者が天寿をまっとうするのは、もう生きていたくない、死んでしまいたい、とついつい思ってしまうからさ。そんなこと思わなければ、もっと長生きできるのにねえ。したがって、結論はこうだ。あらゆる死は自殺である」などというバカのような理屈を唱えている心理学者もいるらしいが、死はやっぱり偶発的なものだ。
今日もレスが書き込まれる。
『どうして人を殺してはいけないの?』
屁ネキはこの手の質問がどうも苦手だった。『人を殺したら、どうしていけないのか』というそのことだけを質問してくるのか。それならば、『どうして人を殴ったらいけないのか』『どうして他人の家に勝手に寝泊まりしてはいけないのか』『どうして学校で焚き火をしたらいけないのか』とも質問すべきだ。殺人よりよっぽど理屈の分からないルールが沢山あるのに、なぜ殺人だけが議題の槍玉に挙げられるのか。
将来
私は世界一の幸せになれたら死のうと思っている。世界一だ。瞬間的な一番でもいい。とにかく世界一幸せになる。そして必要になる条件は自分を肯定してくれるさらけ出せる男だ。愛をオーダー、そしてそれを出せる人。
屁ネキは自殺願望がある訳では無いが、希死念慮があった。
生きることに消極的なのが希死念慮であり、死ぬことに積極的なのが自殺願望。
そしてもうひとつ死のうと思う条件がある。それは私に対して痛みをもたらしたあの女だ。あの女を海に落として殺す。復讐を達成し、幸せが享受した時、私は恍惚と共に自殺をするだろう。
馬鹿みたいな復讐心に燃え、過去を綾なす化身となる屁ネキの与太話はぬとらじの人達から滑稽で受け入れられない。どうせ出来ないことを大言壮語に語る未熟な少女。しかし、彼女の心にはスケールのでかい夢がある。彼女のしている若さゆえの恥の上塗りにも理由があるのだ。