ディアスフェンドネーゼ-嫌われ者たちへの処刑

嫌われ者四天王と呼ばれし者共。

  • カメガイ
  • フィリピン人ガイジ
  • シコザル
  • ネーガイ

人が人を裁く理由

ほとんどの人たちは、他人から賞賛されたいという願望を少なからず持っている。しかし、良いことや、立派なことをするのは大変だ。では、一番簡単な方法は何か。

悪いことをした人を責めればいい。それでも、一番最初に糾弾する人、糾弾の先頭に立つ人は相当な勇気が必要だと思う。立ちあがるのは、自分だけかもしれないのだから。でも、糾弾した誰かに追随することはとても簡単だ。

自分の理念など必要なく、自分も自分も、と言っていればいいのだから。

その上、良いことをしながら、日頃のストレスも発散させることができるのだから、この上ない快感を得ることができるのではないか。そして、一度その快感を覚えると、一つの裁きが終わっても、新しい快感を得たいがために、次に糾弾する相手を捜すのではないか。初めは、残虐な悪人を糾弾していても、次第に、糾弾されるべき人を無理矢理作り出そうとするのではないか。

そうなればもう、中世ヨーロッパの魔女裁判と同じ。愚かな凡人たちは、一番肝心なことを忘れていると思う。自分たちには裁く権利などない、ということを……。

『最も難しいことは自分を知ること。 最も簡単なことは他人に忠告をすること』-タレス

殺人の哲学

殺人が犯罪であることは理解できる。しかし、悪であることは理解できない。人間は地球上に限りなく存在する物体の一つにすぎない。何らかの利益を得るための手段が、ある物体の消滅であるならば、それは致し方ないことではないだろうか。 しかし、こんな自分であっても、学校で「命」というテーマで作文を書けと課題が出れば、クラスの誰より、いや、県内の中学生の誰よりも上手く書けるのだ。

ドストエフスキーの『罪と罰』から「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、現行秩序を踏みこえる権利を持つ」という部分を引用し、それに対して「命の尊さ」という言葉を用いながら、この世に肯定してもよい殺人などないことを、中学生らしい言葉で主張する。原稿用紙五枚、半時間足らずの作業だ。

何を言いたいのか? 文章で表す道徳観念など、学校に入ってからの単なる学習効果でしかないということだ。

殺人は悪である、と本能で感じる人などいるのだろうか。信仰心の薄いこの国の人たちの大半は、物心つき始めた頃からの学習により、そう思い込まされているだけではないのか。だからこそ、残虐な犯罪者が死刑になるのは当然だと認めることができるのだ。

そこに矛盾が生じているにもかかわらず。 しかし、ごくまれに、学習により、己の地位や名誉とは関係なく、たとえ犯罪者であろうと命の重さは同じ、と異議を唱える人もいる。いったい、どのような学習を受ければ、そのような感性が育つのだろう。

生まれたときから、命の尊さを謳った昔話(そんなものあるのか?)を、毎晩耳元でささやき続けられたのだろうか。もしそうならば、納得できる。

そうそう、僕の母親は研究室の一員で、電子工学に詳しかった。そんな母でも愛を持って添い寝をしてくれた。しかし、毎晩聞かせてくれるのは、電子工学の話ばかりだった。電流、電圧、オームの法則キルヒホッフの法則、テブナンの定理、ノートンの定理……。夢は発明家になることだった。どんなガン細胞でも取り除ける機械を作りたかった。物語の最後はいつもこの言葉で締めくくられた。

本題

ぬとらじでは嫌われ者が先にあげた通り、4人いる。いいや、名を連ねてないだけでもっといるかもしれない。

彼らを裁く行為は正しいのであろうか。

例えば、彼らが命を落とすとなればどうだろう。悲しいとまでは行かなくとも、気の毒だとは思うのだろうか。

もし、彼らが余命一週間だと言ってぬとらじスレに上がったらどうだろう。仮に彼らがつまらないことをしたとしてもせめて彼らに一週間は付き合おうとするのだろうか。

正直、人を殺す方法なんていくらでも簡単だ。

殺意の矛盾

日本人は昔から素材の味を楽しむことができるデリケートな舌を持ち合わせていたが、近頃は甘口のカレーを食べても辛口のカレーを食べても区別がつかない子供が増えているそうだ。亜鉛不足が引き起こす味覚障害が原因だと言われている。みんなの舌、例えば鉄臭いなとか、変な味がするなとか、そういう事が敏感に反応することが減っているということ。つまり最近は匂いに中身の見えないパックの牛乳だったりしたら簡単に殺害出来るのだ。

僕は牛乳に採取したての血液を混入しようとしたことがあった。僕の血液ではない。

でも僕はそこから躊躇した。だから人を殺せなかった。

何が言いたいかと言うと、人を殺すのは簡単だし、人を殺した方がいいと思ってるくせに人を殺す人は少ない。

カメガイ

コミュニケーションが苦手なのに周りの文脈にも関係なく突然話し出す。その癖にもちろん中身がある訳でもなく、シンプルに頭が悪い。

チー牛と言われたらキレるようなプライドだけは高い無能、言ってしまえば人間の失敗作。語彙力もなく小洒落た思想がある訳でもないので深みもなければ中身も無い。

フィリピン人ガイジ

僕はこの人を知らないが、自分語りが凄いらしい。

シコザル

将来の展望もない能無し。知能の低い馬鹿。表面上でしか物事を見れない愚か者。見てくればっか着飾って中身がスカスカ。群れを成さないと強気になれない弱者。背伸びしようとして大人の真似をしようとする子供。美意識の欠如した不細工。ネットでしかいきがれない雑魚。無理に虚勢を張って自分の弱さを隠そうとする臆病者。現実と向き合えない蛆虫

ネーガイ

嫌われ者のカメガイにすら嫌われている。彼が少しでも関わったスレは一瞬にして不穏な空気に変わる。触らぬ神に祟りなしであり、ネーガイに関わるだけで大変な思いをする。

賢いフリをして本当は一切頭を回せないバカ。

追伸

僕は佐川のスレや、ほたてのスレを荒らしたことがある。無駄に大声で喋り、「初めまして!」だの、高度に文明化された人間にも関わらず獣のような雄叫びを上げて「あー」とも「おー」つかない咆哮を上げる。

komeでもひたすら人々を罵倒し続けた。

施設育ちだと言う隻眼にはずっとひたすら施設育ちであることを否定し続けた。

シコザルのXのDMには暴言をずーっと吐き続けた。

そうやって邪魔な存在に徹した。もちろんミュートにされるだけだし、特にコミュニケーションが出来ないのだから四天王に連ねる彼らよりもタチが悪いのかもしれない。

度量の深さをアピールすることに利用され、あえてミュートをせず僕の言葉に耳を傾けようとしてくれる優しさの皮を被った偽善者もいたが、やはりそういうやつもどこかのタイミングで僕を見限る。

とはいえまだまだ僕は荒らしを辞める気は無い。当たり前だ。

裁かれ、殺されるその日まで僕は悪になる。そして僕はディアスフェンドネーゼの人柱となる。