左手供養の家

第1章 失踪

「おはようございます、宮江さん。今日も暑くなりそうですね」

そう言って、郵便配達員が爽やかに去っていった。今日もまた、夫の宮江恭一は仕事に出かけた。私は、いつものように、家事に取りかかろうとキッチンへ向かった。

そこへ、突然のインターホン。誰だろうとモニターを確認すると、そこには見知らぬ男性が映っていた。

「はい、どなたですか?」

男性は、落ち着いた口調でこう答えた。

「初めまして、栗原と申します。実は、宮江さんのご主人に少しお話を伺いたくて参りました」

栗原と名乗るその男性は、探偵のような風貌をしていた。私は、何か嫌な予感がしたが、話だけでも聞いてみようと、彼を家の中に招き入れた。

栗原は、リビングのソファに座ると、真面目な表情で話し始めた。

「宮江さんのご主人、恭一さんは、最近、仕事で何かトラブルを抱えていませんでしたか?」

「トラブルですか? 特に思い当たることはありませんが……」

私は、心当たりがなく、首を傾げた。すると、栗原は、ゆっくりと一通の書類を取り出した。

「実は、恭一さんは、ある失踪事件に巻き込まれている可能性があります。この書類は、中古物件を購入した方の相談内容です。その物件は以前、恭一さんが関わっていた片淵家という方の自宅でした」

「片淵家……」

その名を聞いた瞬間、私の脳裏に、ある記憶がよぎった。

第2章 片淵家の謎

「片淵家と言えば、この辺りでも有名な旧家です。ただ、少し変わった家でしてね。あの片淵家の間取りには、秘密があるらしいんです」

そう話す栗原の表情は、真剣そのものだった。

「間取りに、秘密だと……どういうことでしょうか?」

私は、片淵家について知っていることを話し始めた。

片淵家は、この街でも有数の旧家だった。しかし、数年前、片淵家の当主が亡くなり、その後は、家を出ていた片淵という男性が戻ってきて、家を売りに出したのだった。

「その片淵さんという方は、どんな方なのでしょうか?」

「片淵さんは、あまり人付き合いをしない方でした。この街に戻ってきてからも、近所の方ともほとんど話をせず、すぐに家を売りに出したんです。ですので、詳しいことはよくわからないのですが……」

私は、片淵という男性について知っていることはあまりなかった。ただ、片淵家が売りに出した家を購入した人が、奇妙な相談をしてきたという。

「その家の購入者から、どんな相談を受けたのですか?」

栗原は、書類をめくりながら、説明を続けた。

「この家の間取りは、とても複雑で、いくつかの不自然な点があるそうです。例えば、リビングと和室の間に、なぜか二重扉が設置されている。また、二階には、明らかに使われていない謎の空間がある。さらに、家の裏手には、暗室のような空間まであるらしいのです」

「暗室……?」

私は、栗原の話に、不穏なものを感じ始めていた。

「はい。その暗室のような空間は、窓もなく、電気も通っていない。なぜ、そんな空間が必要だったのか、購入者の方は不気味に感じているそうです」

第3章 左手供養

「その片淵家と、恭一さんの失踪が関係しているのですか?」

「おそらく……」と栗原は答えた。「実は、もう一人、片淵家と深い関わりのある人物がいます。喜江さんという方です」

栗原は、喜江という女性について話し始めた。喜江は、片淵家の家政婦のような存在で、片淵家が売りに出した家を購入した人にも、そのまま家政婦として雇われたという。

「その喜江さんが、最近、行方不明になっているのです。そして、彼女の部屋から、奇妙な日記が見つかりました」

栗原は、そう言って、一冊の日記帳を取り出した。

「この日記には、片淵家で行われた『左手供養』という儀式について書かれています。片淵家の当主が亡くなる前、片淵さんは、ある『左手』を供養するために、暗室を使っていたというのです」

「左手……供養?」

私は、栗原の話に、ぞっとするものを感じていた。

「はい。その左手は、片淵家の誰のものでもない。しかし、片淵さんは、その左手に執着し、暗室で奇妙な儀式を行っていたようです」

栗原は、日記の内容を読み上げた。

『今日も、暗室で供養を行った。あの左手が、また私を呼んでいる。片淵様は、あの左手に囚われている。私は、片淵様を救わなければならない』

第4章 暗室の秘密

「その左手は、誰のものだったのでしょうか?」

「おそらく……」と栗原は、慎重に言葉を選びながら話した。「この片淵家で、かつて、ある人物が失踪しているのです。その人物は、片淵家の遠い親戚で、ある事件に巻き込まれ、左手を失ったとされています」

「左手を失った……」

私は、栗耳の話に、胸騒ぎを覚えていた。

「はい。その人物は、片淵家で世話になっていたのですが、ある日、突然、姿を消したそうです。そして、後に、左手だけが発見された。片淵家の人々は、その左手を見つけるたびに、暗室で供養を行っていたようです」

「恭一は、その左手供養の儀式に巻き込まれたのでしょうか?」

「おそらく……」と栗原は答えた。「恭一さんは、片淵家を訪れた記録が残っています。おそらく、片淵さんから、何らかの依頼を受けていたのでしょう。そして、恭一さんは、片淵家の暗い過去を知り、命を落としたのかもしれません」

「そんな……!」

私は、信じられない気持ちだった。

「はい。おそらく、片淵さんは、恭一さんを儀式の犠牲にしたのでしょう。そして、その左手は、恭一さんのものだったのです」

第5章 片淵家の闇

「なぜ、恭一が……」

私は、涙を浮かべながら、栗原に尋ねた。

「おそらく、片淵さんは、恭一さんを儀式の生贄にすることで、自分たちの闇の歴史を隠そうとしたのでしょう。あの暗室は、片淵家の秘密を隠蔽する場所だったのです」

「でも、なぜ、左手だけが……」

「左手は、片淵家にとって、特別な意味を持っていたのでしょう。おそらく、あの家の間取りも、左手供養の儀式のために設計されたものだったのかもしれません」

栗原は、片淵家の闇の歴史を暴いていった。

片淵家の当主は、かつて、ある罪を犯していた。それは、遠い親戚である人物を監禁し、虐待していたというものだった。その人物は、片淵家の人々から、左手を切り落とされるという残酷な仕打ちを受けた。

「そんな……信じられません」

「はい。しかし、これが片淵家の真実なのです。そして、恭一さんは、おそらく、この闇の歴史を知ってしまった。だから、片淵さんは、恭一さんを消すしかなかったのでしょう」

第6章 真相

「すべては、片淵さんの仕業だったのですね……」

私は、呆然としながら、栗原の話を聞いていた。

「はい。おそらく、片淵さんは、恭一さんを儀式に誘い込み、暗室で殺害したのでしょう。そして、左手だけを切り落とし、供養することで、自分の罪を隠そうとしたのです」

「でも、なぜ、喜江さんは、失踪したのでしょうか?」

「おそらく、喜江さんは、片淵さんの秘密を知りすぎていたのでしょう。片淵さんは、喜江さんを脅してでも、自分のそばに置いておきたかったのかもしれません」

栗原は、警察に連絡し、片淵の家への捜索を依頼した。片淵の家では、暗室から、恭一の左手が発見された。

「これで、すべてが終わりです……」

栗原は、安堵した表情でそう言った。

「ありがとうございました。あなたが調べてくれなかったら、きっと私は真実を知ることができなかった」

「とんでもありません。宮江さん、お力になれてよかったです」

私は、栗原に深く感謝した。

「ところで、片淵は、どこにいるのでしょうか?」

「片淵さんは、すでに海外に逃亡したようです。しかし、警察が動いていますので、すぐに捕まるでしょう」

私は、片淵家の闇の歴史と、左手供養の儀式の真相を知り、深い悲しみに包まれていた。

「すべてが、終わったら、この家を売りに出そうと思います。もう、ここには、いたくありません」

「そうですね。お気持ちはよくわかります。新しい生活が始まることを願っています」

栗原は、そう言って、私に励ましの言葉をかけてくれた。

「ありがとうございます。お陰さまで、少し気持ちが楽になりました」

私は、深々と頭を下げた。

「では、私はこれで失礼します。何かありましたら、いつでもご連絡ください」

「はい、ありがとうございました」

栗原が去っていき、私は、一人、リビングのソファに座り込んだ。

「恭一……あなたは、こんなことになるなんて……」

私は、涙が溢れ出てくるのを抑えることができなかった。

エピローグ

片淵の家は、新しい家族の元、明るい家庭を築いていた。しかし、時折、その家の間取りに、不思議なものを感じることもあったという。

「この家、ちょっと変わった間取りね」

「そうだね。でも、なんだか落ち着く間取りだよ」

新しい家族は、片淵家の暗い過去を知る由もなかった。

「さて、今日も一日が始まるね」

「うん、今日も頑張ろう!」

新しい家族の明るい声が、家の中に響き渡った。

「左手供養の家」と呼ばれた片淵の家は、今、新たな歴史を刻み始めていた。